LA PERDITA DEL PARADISO〜楽園喪失〜



今思い出しても、チームがなくなった経緯が悔しくて悔しくて仕方ない。なんで、こんなことになったんだろう…って6年経った今でも考えてしまう。それでも、私はフリューゲルスに会えて良かった。もう、ビデオでしか貴方たちのプレーを見ることが出来ないけれど。貴方たちと共有出来た6年間がとても楽しかった。本当にありがとう。

  


私がフリューゲルスに出会ったのは93年の夏。Jリーグが開幕したばかりで、フリューゲルスってのは10チーム中一番ファンの少ないチームなんて云われていました(笑)。何でそんなチーム好きになったんだろう…てのは謎ですが(笑)、BSで試合を見ているうちにこの人たちって実はすごいことをやろうとして、自爆してるのねって気付いた時には、テレビの前で応援しておりましたよ。ゾーンプレスだなんて、前半45分しか持たないような戦術(失言)を完成させようとしてはドロンジョ一味(タイ○ボカンシリーズ)のように失敗しているさまが好きでした(歪んだ愛だな…)。優勝できるかもって時に自爆して、他のチームにタイトルかっさわれてしまうのもたまりませんたまりません。いや、出来ることなら喜び分かちあいたかったですけどね(^^;。


で、彼らは北海道にキャンプに来てまして、毎年バカの一つ覚えのように通っていたんですが、通っているうちに選手の気取らないフレンドリーさにもすっかり魅了され、中継が入らない時にはニッ○ン放送のラジオ中継(北海道じゃはっきりいって、ノイズしか聞こえなかったんですが、それでも聞きたかったんですよ)に耳を傾け、北海道で行われた試合は全部見ました。気付いた時には生活の一部にフリューゲルスがいたんです。このチームに出会ってなかったら、今頃サッカー好きでないかもってぐらい。


時は流れ、すっかり6年前の出来事なんて風化してしまっている。だけど決して忘れちゃいけない出来事。


「私たちは忘れないでしょう。横浜フリューゲルスという非常に強いチームがあったことを。東京国立競技場。空は今でもまだ、横浜フリューゲルスのブルーに染まっています…」


99年の天皇杯決勝での実況の山本アナのコメントは今でも忘れず耳に残っています。

→写真も見てみますか?
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